宇都宮市を「ジャズのまちに」と、2001年8月、宇都宮市と各民間団体の代表が「うつのみやジャズのまち委員会」を立ち上げ、数々の音楽イベントに取り組んでいます。
その中で、ジャズの民間団体をとの声が上がり、誕生したのが「宇都宮ジャズ協会(UJA:utsunomiya jazz association)」です。ジャズクラブやライブハウス、スタジオなど、音楽に関係した店のオーナーや、賛同する企業、個人が会員になって、宇都宮を音楽で盛り上げようと活動しています。このHPはUJA加盟店情報や演奏スケジュールを紹介しています。あなただけのお気に入りの店が見つかりますように。。。
入会資格は、ジャズの生演奏を定期的におこなっており、協会員2店舗の
推薦がある宇都宮市内の飲食店、あるいはそれに準ずる店舗を経営されている個人、企業に限ります。当協会の趣旨に賛同いただき、ご協力をいただける企業向けに、賛助会員も受け付けております。
宇都宮ジャズ協会 会長 小平 卓
お問い合わせ先
宇都宮ジャス協会事務局
〒320-0034
宇都宮市泉町1-9 近代人 内
TEL:028-621-8052(近代人)
メールでのお問い合わせは、hayap72@gmail.com(担当 早川)
宇都宮ジャズ協会加盟のライブハウスで、通常は店舗ごとに500~1500円程度かかるミュージックチャージ(ライブの聞くための料金)のフリーパス(前売り1000円、当日1500円)を発行し、何店舗でもクルーズ(周遊)することができるイベントです。
毎年 5月、8月、11月の年3回実施しております。(参加店舗 約13店)
発祥
発祥の地はニューオリンズ。
当時の港町ニューオリンズは,多彩な人種が集り、さまざまな文化が入り交じっていた。 そうした背景から西洋の楽器を黒人が手にし、ニューオリンズで活動が始まったのがジャズの原型とされている。
ニューオリンズ・ジャズ(1910年代)
ニューオリンズ・ジャズはブルース・フィーリングなども交じり合った黒人独特の音楽として、 今日のジャズの原型となった。
スイング(1930年代)
トリオからオーケストラに至る様々な編成や デューク・エリントンやカウント・ベイシー楽団などのプレイヤーが活躍している。代表作はベニー・ グッドマンの「カーネギーホールジャズコンサート」
ビ・バップ(1940年代)
即興演奏を求めコードを細分化しアドリブを多用したのがビ・バップである。
クール・ジャズ(1940・50年代)
雰囲気のカッコ良さや、知的さ、などが感じられるジャズをクール・ジャズと表現した。 クール・ジャズが一躍有名になった作品としては、マイルスの「クールの誕生」が上げられる。
ウェスト・コースト・ジャズ(1950年代)
ウェスト・コースト・ジャズは明るく軽やかな演奏が特徴とされている。個性的なグループ表現を示すようになったのが始まり。
ハード・バップ(1950年代)
ハード・バップは1950年頃から活発化し、バップと同様にアドリブが主体となるが、 より情熱性を帯びた激しい表現(ハード)な表現がハード・バップとされている。
モード・ジャズ(1960年代)
モード・ジャズもまた、マイルスを中心に確立されました。モードにおける代表的な作品は「カインド・オブ・ブルー」1959年が上げられる。コードに捕らわれることなく自由にそれぞれの個性を打ち出して行けるよう考案された手法である。
フリー(1960年代)
フリージャズは、オーネット・コールマンがドン・チェリーらをメンバーとするカルテットを率いて、 ニューヨークに進出したところからジャズの前面に登場した。
フュージョン(1970年代)
電化サウンドとロック・ビートの導入を主とする新機軸を打ち出したマイルスが「ビッチェズ・ブリー」(69年)を発表したのがフュージョンの始まりと言われている。
新伝承派(1980年代)
今までのジャズとは違った、都会的なアレンジでジャズを構成し人気を集めた。
日本のジャズ史
1961年(昭和36年)にアート・ブレイキーが初来日公演を行ない、これによりファンキージャズに火がつき、同年、渡辺貞夫が初リーダー作を発表。日本は1961年よりファンキーからモダンジャズへと入っていった。
ジャズ喫茶人気が高まり、日本のジャズブームの到来となったのである。